VGA化した携帯電話はノートパソコンになれるか?
(略)
しかし、640x400ドット(PC-8801シリーズは640x200ドット)の解像度で漢字ROMを内蔵したPC-9801シリーズの登場で国内のパソコンに関する扱い方ががらりと変わりました。
PC-8801シリーズの時は横方向に640ドットといっても、縦方向の解像度が低いので、正方形に漢字をきちんと表示しようとしたら、結局横方向に二倍角の文字で表示するしかなく、お世辞にいってもかなりひどいものになってしまいました。実質的にはQVGAとかわらない解像度だったのです。
しかし、PC-9801になると、ディスプレイの大きさは全く同じでも、解像度が640x400ドットになって、正方形の漢字を美しくしかも細かく表示することが出来るようになりました。
16x16ドットの漢字フォントを40文字×25文字が表示できるようになって初めてPC-9801は実用コンピュータへの一歩を踏み出したのです。(以下略)
この記事を書いたヒトは76年生まれだそうで、PC-8801シリーズが一線で活躍していた1980年代には中学生になるかならないかくらいまでで、恐らく、PC-8801がどんなPCだったかちゃんと知らないのでしょう。PC-8801は、ご存知のように、最初から640x400の解像度を持っていました。(ただし、専用高解像度(笑)モニタと組み合わせないと表示できない)。最初から、漢字は、16x16ドットが、正方形に表示できていました。ただし、少なくともV1モード(PC-8801/mkIIまで)では、この解像度(screen 2)は、モノクロになってしまいましたが。(3枚あるRGBのVRAMのうち二枚を縦に並べて表示していたのだから、色がないのは仕方ない)。それでも、ワープロなどを使うのには問題はなく、実際PC-8801用には、沢山のワープロがありました。このあたりは、蘇るPC-8801伝説 永久保存版にも書いてありますが。
パソコンが本格的にビジネスに使われるようになったのは、解像度の問題ではないことは自明です。では、ナニが88と98との間で変わったのでしょう? 当時の状況を思い返すと、やはり、PC-8801→PC-9801で大きく変わったのは、16bit化に伴う、処理能力の増大ではないかと思います。メモリ空間は16bit == 64KBから20bit == 1MBまで拡大され、また、レジスタが16bit化されたことにより、サイクルあたりの処理能力も向上しました。主たる外部記憶も、8インチ1.25MB、5インチ640KBと、2D 320KBだった8801から大きく進化しています。かな漢字変換の精度、表計算などビジネス向けの演算能力の強化、扱えるデータ規模の拡大。これらが、当時、大きくビジネス向けにシフトした原動力だったのではないかと思います。
現在のケータイをはじめとする、携帯端末は、処理能力、メモリ空間など、どれをとっても、当時のパソコンを大きく越えています。確かに、見劣る部分は、解像度だけといえなくもなかったのですが、それでも、2.4〜2.7インチ程度の小さな画面に、VGA解像度を詰め込んだことで、ビジネス端末として本格的に開花するかどうか……それは、今後明らかになるでしょう。個人的には、そうはならないと思いますが。
シェクまく
Macintoshの解像度の話もめちゃくちゃで酷いですね。昔の機種の解像度についてもそうですが、最近のMacintoshのディスプレイも"縦方向に長い"とは何を見て言ってるのかと。新しい機種はワイドディスプレイのみですから、きっとこの人は寝転がって見てるんでしょうね。
だいたい縦長が素晴らしいのならPC-100路線がもっとブレイクしたしたはずですし、PC-98用ギャプラスの革命的運用法が広まったはずです。
あと、画面解像度の話をしてたはずなのに文字入力に展開していき、結局なに?という終わり方を見せてくれます。さすがです。
hiro
このヒト、IPA認定の天才プログラマだとかなんだとからしいですが、プログラム能力に長けていても、その他の方面はあんまりなのかもしれません。
ちょっと、想像すればわかることですが、ビジネス文書を、例えば、メモでも、レジュメでも、作成するときには、ワープロだけありゃいいってモノではなく、数値データや、画像など、多様なデータをかき集め、整理して、纏め上げることが必要なわけです。
確かに、ケータイの入力メソッドは、急激に進化して、日本語の文章を入力するという点においては、ある程度我慢すれば使い物になる水準まで来ていますが、こういった、多様なデータの取扱いは、まったくといっていいほどできないし、解像度以前にクリアしなければならないポイントは山積みなんですよね。そういう意味で「ならないと思いますが」と書いたのですが、ちょっと考えればわかりそうな問題点に気づいていないのか、或いは、敢えて無視して書いたのか。
前者ならモノが見えてないヒトだし、後者なら……自分の望む結論を導き出すために、事実を歪曲するヒトってことになりますかね。
ところで、ギャプラスー。懐かしい!!
うちはディスプレイを縦にすると色ずれが出てしまう(大抵のディスプレイはそうだったように思いますが)ので、クビを横にしてプレイしました。(ばかだ)
クビがとても疲れ、時に寝違えたかのような状態になったことを思い出しました(^^;;
清水亮
はじめまして。トラックバックありがとうございます。
大変厳しいお言葉をいただき、恐縮です。
確かに私はPC-8801を所有したことがなく、曖昧な記憶と当時のアスキーの記事を取り寄せ、もとに憶測で書いてしまいました。
私自身は1982年からPC-9801F2を使用しており、8ビットから16ビット化したことによる恩恵について知識不足でした。
携帯電話において多様なデータの扱いができないことについては、いずれ記事を書く予定で準備しておりました。特にマルチタスクが中途半端なこととアプリ間のデータのやりとりができないことなどが問題ではないかと考えております。
ご指摘ありがとうございました。
hiro
ああっ、本人がいらっしゃった(^^;;
こんなところに、ようこそおいでくださいました。
いいたいことを書いていますが、そもそもが、わたしは、ケータイ万能にはならないと考えているからです。また、トシヨリなので、8bit全盛時代から16bit、32bitへの移行をリアルタイムで経験してきていることもあります。
個人的には、ごらんのようにW-ZERO3を保有していますし、そいったケータイ端末の高機能化を欲している口ではありますが、それでもPC代替にはならないだろうと踏んでいます。
また、そうあるべきでもないとも思っています。昨今の情報漏えいなどの問題を鑑みるに、技術的な問題よりも、コンピュータリテラシーとモラルの低さが大きいと感じています。以前、何かの調査で、日本は先進国の中で特にコンピュータリテラシーが低いという結果が出たと見ました。(何の調査だったかは失念)
確か、同時に、ケータイによるウェブやメールの利用率は突出しており、ケータイがコンピュータリテラシーの向上に悪影響を及ぼしている可能性も示唆されていました。確かに、ケータイは手軽で、それ自体は、すばらしいことではありますが、同時に何か大切なものを置き忘れてきている、そんな気がしてならないのです。
(ベネッセの調査で、ケータイだけ利用の子どもの学力がPCだけ、PCとケータイ両方、どちらも使わないの、四カテゴリーで一番低いという調査もありました。)
なので、ケータイマンセー的なコラムや考え方には、特に厳しい反応をしてしまうのです。
ま、トシヨリの戯言だと思ってくださってもよし、置き忘れた何かまでケータイに取り込んでやるぜ、というのもよし。いずれにしても、これから先のことは、これから作っていくのです。願わくば、よりよくなっていくことを。