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運、というのは便利な言葉だ。何やら、目に見えない、超常的な力が働いて、物事がそのせいで、うまく行ったり、うまく行かなかったりするかのように聞こえる。ナンにせよ、「運」による結果は、その良し悪しに関わらず、本人の責任ではないかのように聞こえる。我々が「運が(よかった|悪かった)」というとき、それは果たして本当に、運の所為なのだろうか?昨日の、とあるウェブの不定期連載記事に気になるものがあった。

イー・モバイル「EM・ONEα」を使う

...前略...
 購入して気がついたが、契約開始月は料金無料というキャンペーンを行なっており、しかも料金計算は月末〆切りなので、月初に購入したほうがよかったのだ。EM・ONEαを購入した10月は、キャンペーンでオプションのクレードル(直販価格7,140円)が付いてきたが、翌月(11月)からは、マイクロソフトとの共同キャンペーンなども始まったようだ。つくづく運が悪い
...中略...
専用クレードルに装着すると、側面のプラスチックが当たって電源スイッチに指が届きにくくなる。あまりに操作しづらくなるので、筆者は早々にクレードルの側面部分を切ってしまった。なお、スイッチに依存せず電源のON/OFFを実現するソフトウェアがいくつか作られているので、少なくとも電源スイッチの使い辛さは改善できるようだ(クレードルを切り取る前にGoogleで検索すればよかった……。つくづく運が悪い)。
...後略...

さて、この記事の中で、このライター氏は、二度にわたって「運が悪い」と、それも「つくづく」なんてつけて、書いている。「ああ、本当に、無料の期間が短かったり、クレードルも切らないで済んだかもしれないのに、運が悪かったねぇ。」なんて思ったあなたはヒトがいい。

よく読んでみれば判るが、これは「運」の領分で発生した事象ではなく、単にこのライター氏が情報収集を怠ったために起こった事である。ちゃんと事前に調べればどちらも回避できたことなのだ。こういうのを普通は「運」とは言わない。おまけに、この種のテクニカルライターなんて仕事は、この手の情報収集能力がビシバシ求められる、そういう職種だ。つまり、こんなことを、「運が悪い」なんて書いちゃうのは、自分の無能ッぷりをさらけ出しているだけでなく、それに自ら気づいていないです、と喧伝しているようなものだ。書くなら、情報収集を怠ったことを素直に反省している、とでも書くべきだろう。

運という言葉は、とても便利なので、ついつい、その所為にしてしまいがちだ。別にこのライター氏だけではなく、自分でも、振り返ればやっていたりすることだ。しかし、自分の怠惰を運の所為にして逃げているようではいけないなと、反省。気軽に「運」なんて言葉で誤魔化したりしないように気をつけねば。