シェルの肥大化

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未来の記憶がないPCの挑戦

未来の記憶、なるものや、PCにはそれがない中でどうしていこう、というような、本旨の部分は、そうなんだろうなぁ、と思いながら読みましたが、どうしても気になったのは、記事の中で、"OS"と呼んでいる物のこと。

この記事で"OS"と呼ばれているものは、本来的な意味でのOSも内包してはいると思いますが、明らかに、意図しているものは、OSではなく"シェル"です。つまり、ユーザとのインタラクションを司るものを"OS"と呼んでいる訳です。そして、恐らく多くの人がそのことに特には違和感を覚えなくなっているのでしょう。

OS……Operating Systemとは、本来は、コンピュータのリソースをマネージして、競合を調停するプログラムのことでしたし、狭義のOSは今でもそうでしょう。ユーザとインタラクションをするための"シェル"は、本来OSの一部ではなく、単なる一プロセスに過ぎないものです。ところが、ユーザがPCに向かうとき、ユーザに見えるのは、このシェルに他ならないわけです。と、シェルこそがOSひいてはPCであるような錯覚を起こすのは、まぁある意味自然なことなのかもしれません。そもそも、OSの役割を考えれば、ユーザから見えなければ見えないほど優秀なわけで、しかし、見えないものの販売を訴求するのは中々に難しく……したがって、シェルで訴求するというのは、これまた必然なのかもしれません。

そして、確かにOSそのものに、UNIX以降(multics以降? いやもっと以前から?)、ブレイクスルーと呼べるほどの大きな変化があったわけでもなく(細かな進化はあったし、NTカーネルや、Darwinがそうである様にマイクロカーネルというアーキテクチャも登場したりはしたが、本質的にOSを変えるというよりは、単に構造の見直しだったに過ぎないように思う。)、同じベースの上に、化粧(シェル)だけを直しながら、新バージョンです、といって売ってきたのが、Windowsであり、MacOS Xだったといえなくもないでしょう。

だから、ユーザが求めている機能、或いはベンダがユーザに「新しい経験」などとして訴求しているものは、凡そシェルにて実装され(今は亡きWinFSのように、新しい体験を支えるために新しいファイルシステム(==OSの一部)を導入する場合もあるが、ブレイクスルーと呼べるほどの革新かどうかは疑問。)、そして、それが即ち「新しいOS」という位置づけで、販売されるわけで、新しいOS=新しいシェルとなるのは当然といえば当然なのでしょう。

で、結局、何が言いたいのかというと、我々がOSだと思っているものは、実は、単なる、ベンダー純正のアプリケーションであって、OSそのものなんざ、もう30年近くもたいして変わってないんだよー、って話。変わらないのは但し、未来の記憶がないから、というよりも、OSの役割(リソースの競合の調停役)が、劇的に進化する必要がないものだからではないかという気がします。まぁ、どうでもいいことといえばいいことなんですが。