選挙雑感

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参議院での郵政民営化小泉法案の否決に始まった、今回の総選挙。終わってみれば、小泉の選挙上手が光った選挙だったと思います。政権をとることを否定しちゃっている党や、犯罪者を全面に押し立てて闘っているような党はともかく、対立軸となるべき民主が、完璧に選挙戦略を誤り、そして、大敗した選挙だったように思います。

さて、しかし、この選挙の成り行きと結果とをみて、どうしても、危うい感じがつきまといます。今回、この選挙は、ある意味、「郵政民営化小泉案」の国民投票だったわけです。つまり立法府がその権限と責任とを放棄し、国民に丸投げしてよこしたわけです。そして、知ってか知らずしてか、有権者がなんとなくその雰囲気に飲まれ、また小泉選挙戦略の妙によって、「郵政民営化=郵政民営化小泉案」とすりかえられたことで、この郵政民営化案こそが改革、そして改革への信任投票とすりかえられた、ソレに乗ってしまったという面があると思います。

真偽の程は判りませんが、郵政民営化の自案意外には全く興味もやる気もなかった小泉自民党総裁の下で作られた自民党のマニフェストは、郵政以外の件に関しては全て官僚の手によるものであるという話もあります。税制改革(≒増税)は、次の総裁の手足を縛らないとかいって、無責任に放り出しているヒトのことですから、さもありナンという気もします。官僚が官僚機構を改革できるのであれば問題はないのですが、官僚の手によるマニフェストであれば、恐らく、改革を骨抜きに出来るようになっていると考えるのが自然でしょう。となれば、「改革の本丸」とした郵政民営化は、実は、外堀も、内堀も、もしかすると城壁すら敵の手に落ちている裸の野城で、気づいてみたら乗っ取られていた……なんてことが待っているのかもしれません。また、残り任期が一年しかない首相、その後のことは「縛らないため」と称して、何のビジョンも示さない首相を擁する勢力に四年間の政権担当を委任したことになるこの結果は、果たしてよかったのだろうかというのは、誰もが考えることではないかと思います。

勿論、全然そんな心配は無用で、小泉以後も、改革を粛々と前進させ、コノ国をよりよい形へと作り変えてくれる可能性もあるわけですが、国家百年の計とはいわないまでも、当面のこの国の行く先を決めることになる「改革」も、現在の小泉発言を聞くに、先々までのビジョンがあってやっていることではなく、単に三十年以上にわたって「自論」としてきた、彼の怨念、執念、で進めているだけにしか見えないところがあるのも少々気になります。

さらに、最初に書いたように、立法府が、自らの責任と権限を放棄して、このような国民投票的選挙を、今後も繰り返すのだとするなら、衆議院の任期四年は長すぎ、せいぜい二年に短縮されねば、ならないようにも思います。

自民党や公明とは(建前は)違うというかもしれませんが、国民が今回信任し、委任したのは郵政民営化小泉案の一事に限ったことであるわけで、その一事を以て、四年もの間政権に居座ることは許されるべきではないように感じます。

投票率は伸びました。有権者の関心も戻ってきつつあるのかもしれません。が、果たして、こういう手法が果たしてよかったのか、この結果でよかったのか、色々と考えさせられる選挙だったのではないかと思います。願わくば、この四年(乃至は次の解散まで)が、我々の選択が誤りではなかったと、思えるようなものであり、更に、長期的なビジョンたる改革が、子どもたちの代をより実り多いものへと導いてくれることを。


(追記):
そういう選挙になってしまった、一因は、この国の貧相なジャーナリズムにもあると思います。マスコミは面白おかしく「郵政選挙」と報じ続けましたが、それでよかったのかどうかは、ジャーナリストだと思っている方々には自省を求めたいと思います。