大量に突っ込んだ音楽をランダムに再生していると、結構古い歌がかかったりします。(それはつまり古いCDを持っているということですが。)
♪なのに何故留守番電話なの?
どっちの歌も15年くらい前の歌でしょうか? 他にもベル(ポケベル)とか、長電話とか、色々なコミュニケーションに関する死語が登場しますが、いずれも当時は当たり前の風景のなかにあったものです。
ケータイの爆発的な普及に伴って、恋人からの電話を親が受けることもなくなれば、公衆電話に列を作ったり、キャッチホンや留守番電話もあまり活躍しなくなりました。なにより、ケータイとともに普及した電子メールの存在は大きいでしょう。
15年くらい前にも、既に、電子メールはありました。僕は使っていました。が、当時言われていた電子メールのメリットには、受信者の都合のいいときに読み、返事を書くことができることというのがありました。そして、その相手任せのコミュニケーションゆえに、火急の用事や、すぐに確認したいことなどは電話を使うとか直接会うとかする必要があったのです。
ところが、ケータイによって、この様相はがらりと変わりました。ケータイのメールは、ケータイを常に身近に持っていることにより、送る側の都合で、無理やりにでも受信させるようなものに変わりました。pull型のメッセージが、強烈なpush型になったのです。このため、電話でなければ用を為さなかったようなケースでも、メールでコミュニケーションできるようになってきました。
ところが、push型であるがゆえに、送り手は、すぐに相手が読んで返事をすることを期待していることが多く、受け手は、すぐに返事を送らなければならないプレッシャーにさらされています。そして、返信は新たなプレッシャーを返信先に与え、終わりのないメッセージのループになったりします。なんとも忙しなく、また、趣のないことです。
ケータイ端末の文字入力はテンキーベースですから、どうしても、入力速度に限界があり、また、すぐ返信しないとという、妙なプレッシャーから、どうしても、短かったり、謎の記号の羅列になったり、伝えたいことを十分に込められなかったりするのが常です。いつも誰かと繋がっている感じがする、とは、ケータイの利用者の声としてよく聞かれますが、繋がっているだけで、相手と通じていなかったりしないだろうか……なんてことを、死語となった、昔のコミュニケーションに考えさせられました。
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